死を望んでいる人へ       主任牧師 中村英之


死を望んでいる人へ   聖書 イザヤ書49:14~17      

生きているよりも死ぬ方がましです。」これは聖書のヨナ書49節でヨナが、神に向かって叫んだ言葉です。ヨナは思うようにいかない現実、そして肉体的な苦しみの末、死ぬことを願っていたのです。だれもがそのような経験をもっています。それは牧師であっても、敬虔なクリスチャンでもあります。

神はわたしたちに命を与えてくださいました。わたしたち人間を愛するために、神はわたしたちを生きた者としたのです。しかし、わたしたちはそんな神から離れてしまったのです。人間自らが神の愛から離れ、自ら生きられなくしてしまったのです。それでも、神は離れてしまってもわたしたちを愛し、憐れみました。

わたしたちは確かに、自らの命を自らの手で終わらせることができます。たしかに生きる事の困難なこの世に生きる人間を憐れむ、神が与えた選択肢のひとつと考えられなくもありません。しかし、あなたが自らの命を自らの手で終わらせる選択をすることを、神は決して望んではいないのです。

神はわたしたちの命を惜しまれる。神はあなたの命を惜しまずにはいられないのです。たしかにこの世は、あなたが悲しみのあまり自らの命を絶っても、無関心で、惜しむことはないでしょう。たといその時は悲しむかもしれません、でも時がたてば世はあなたの存在自体を忘れるでしょう。こんなことを言うと批判を受けるかもしれませんが、首都圏の鉄道で、毎日のようにおこる人身事故を、「時間に遅れる」と迷惑にしか思っていない人々の現実を見てください。

しかし、神は「わたしがあなたを忘れることは決してない。」(イザヤ書4915)と言われています。神はあなたを愛しておられる。神はあなたを愛するがゆえに、あなたを救い、あなたに新しい命を与えたいがために、ついにはご自身の独り子すら犠牲として、あなたにお与えになったのです(ヨハネ316)。

  救いは人間にはありません。命を与えてくださった神にあります。神こそがあなたを求め、あなたに「わたしのもとで『生きよ』」と言われている。神はあなたに生きることを望んでおられるのです。主イエス・キリストを信じるなら、あなたはすでに神のもとにあるのです。神は主イエス・キリストを信じるあなたと共に生きてくださいます。もうひとりで生きなくてよいのです。

それから、どうか一度、教会をお訪ねください。教会の礼拝に出席してみてください。是非教会で、神と共にさまざまな困難や苦しみを乗り越えながら、長い年月を生きてきた方々の姿を見てほしい。彼らの神を礼拝するその姿とあふれんばかりの愛を見てほしい。新しい永遠の命、神の国が目に見える形でそこにあります。

                                                                                      主任牧師 中村英之